日本

八重山ゼロマラリア達成の碑

八重山地方は400年以上ものあいだ風土病マラリアに苦しみ、ヤキーヌシマ(ヤキー=焼ける、高熱の病気マラリアの島)と呼ばれ、恐れられてきました。八重山では、琉球王国時代の重い人頭税、沖縄戦、戦後の米軍統治という困難な状況下でマラリアとの戦いを強いられました。戦後、官民と米軍当局が連携し、マラリア対策を行った結果、1962年に八重山地方のマラリアは、世界に先駆けて一掃されました。2022年、ゼロマラリア達成から60年を迎えました。八重山の先人たちの努力を讃え、この地域で成し遂げられた偉業を次世代に継承し、世界に発信し、感染症のない平和を願って、ここに「八重山ゼロマラリア達成の碑」を建立しました。

八重山とマラリア

一説によると、1530年に西表島へ漂着したオランダ船から八重山にマラリアが持ち込まれたと伝えられています。それから20世紀まで、八重山のマラリアは原因不明の風土病でした。1921年に初めてマラリア対策専門の行政組織「八重山島庁マラリア予防班事務所」ができましたが、継続的かつ根本的なマラリア対策は行われず、患者数は減少しませんでした。そのような状況下で、八重山でも沖縄戦をむかえることになります。

戦争マラリア

沖縄戦において、八重山で地上戦はありませんでした。しかし、空襲が激しくなると、住民たちは、日本軍の命令によりマラリアの有病地へと強制避難させられました。食料も薬もない中、住民の約半数にあたる16,884名がマラリアに罹患し、3,647名の尊い命が奪われました。一方、戦闘行為による死者は178名でした。この戦時下でのマラリア被害は「戦争マラリア」と呼ばれています。八重山出身の吉野高善博士(寄生虫研究者)は、保健所職員の黒島直規らとともに、戦時中のマラリア患者に関する細かなデータをとりました。これらの科学データは戦後のマラリア対策へとつながります。 戦後、吉野は八重山支庁長に、大濱信賢博士(八重山出身のマラリア研究者)は衛生部長に就任し、「マラリア撲滅に関する取締規則」を作成しました。この規則は罰金を伴う厳しいものでしたが、官民一体の対策が行われたことで、1949年にはマラリア患者数が17名まで減少し、死者数も激減しました。しかし、この時はまだゼロマラリアは達成されませんでした。

個人所蔵
八重山保健所マラリア防遏課の様子
1962年以降マラリア患者数0(ゼロ)が並んでいる

移民マラリアとウイラープラン

1950年、住民が選んだ新政権はマラリア対策予算を削り、開拓を推し進めました。他島から多くの「開拓移民」がマラリアの有病地に入植した結果、入植者を中心に「移民マラリア」と呼ばれるマラリアの再流行が起こりました。 1957年、GHQの医動物学者ウイラー博士は、USCAR(琉球列島米国民政府)の依頼により、八重山でマラリア対策計画「ウイラープラン」を作成しました。他国で科学的に効果が証明されていたDDT*の屋内残留噴霧を中心としたこの計画に特別予算が付けられ、現場の保健所職員が徹底した噴霧作業を行いました。この効果はすぐにあらわれ、住民も積極的に協力しました。この結果、1961年の西表島での患者を最後に、1962年、八重山でゼロマラリアを達成しました。
*DDT 安価で効果のある殺虫剤 危険性が指摘され、使用禁止となった

マラリアとは

マラリアは、マラリア原虫という寄生虫による感染症で、高熱と強烈な寒気を特徴とし、治療が遅れると死に至る病気です。マラリア原虫を持っている蚊(ハマダラカ 学名 Anopheles spp.)に刺された時、蚊の唾液の中に潜んでいる原虫が人の体内に侵入し感染します。エイズ、結核と並び「世界三大感染症」の一つです。 八重山には、死亡率の高い熱帯熱マラリア原虫を運ぶヤエヤマコガタハマダラカがジャングルの渓流に発生します。 八重山からマラリアは無くなりましたが、アジアアフリカなど低、中所得国を中心に、世界では年間60万人以上がマラリアで亡くなっています。(2020年)

ヤエヤマコガタハマダラカ
水田英生
赤血球に感染したマラリア原虫
狩野繁之

伊野田と移民マラリア

1950年7月7日、マラリアが蔓延する伊野田地区で、住民手作りの「マラリア撲滅伊野田出張所」の開所式が執り行われ、伊野田部落が誕生しました。1951年10月、大宜味村から計画移民として21世帯が入植したのを皮切りに、伊野田には多くの入植者が開墾に来ました。しかし、伊野田を含む石垣島北部一帯で、入植者を中心にマラリアが大流行しました。伊野田出張所では治療、対策から教育普及など多岐にわたる業務が行われ、後に、北部地区のウイラープラン実施拠点となりました。その結果、1962年には八重山での年間マラリア患者発生がゼロとなりました。 こうして、八重山の400年以上の長きにわたるマラリアとの苦闘の歴史に、終止符がうたれました。

保健所職員による移動検診
八重山平和祈念館所蔵
マラリア撲滅伊野田出張所
個人所蔵

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